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2021年 6月 16日 校舎長の呟き①:「悩む」こと「考える」ことを分けよ。
こんにちは三木です。お久しぶりです。
さて、「自分ってコミュ障で、人として価値が低い」とか、「勉強長続きしない自分は、ダメな奴だなぁ」とか「自分は頭悪い・・・」とか思い悩んでしまって、ふといまの日常から離れてしまいたくなること、あったりしますか?
ここで大事なことは、「悩む」と「考える」ことを分ける、ということです。上記のものは「悩み」です。
結論をいうと、「悩む」ことをやめたほうがいい、と思っています。
えっそんなこと?心にうそをつけというのか?感情を封じ込めというのか?そうではありません。
「悩む」と、悩みはどんどん大きくなって、コンプレックスなどに発展し、果てには生きていることの意味などをネガティブに考えてしまうことにつながるから、やめたほうがいいよ。ということですね。
ではどうするか?「考える」のです。今起きたことや過去のことは、もうしょうがないので受け入れて、
【でも虎視眈々と、次の一歩でよい結果を引き寄せるにはどうするか】じっと、考えるのです。ニヤニヤしながら、ね。
成績が悪いと人間性も悪いみたいなことを考えて落ち込んでいる生徒、よく見かけます。
「成績」と「人間性」は別物です。分けて考えましょう。「成績」がよいと「人格」が優れているというわけではありませんし、「成績」が悪いと「人格」も劣っているということはありません。
その証拠に、本当に性格が悪く、でも成績がいい人、というのもいます。
この考え方、大事ですよ。
というのは、「英語できない」人、要は「英語ができない」のだから「英語の勉強」をすれば、点数上がるわけですよね。普通のこと。
でも、このあたりを誤解している人は、得てしてこういうことをします。
「英語できない」→「自分は努力が続かない」→「人間的に間違っているんだ」→「人間性を治す」本とかセミナーとかwebサイトを見る。
これは、間違った努力です。なぜ間違っているかというと、これでは「英語」の成績は上がらないからなんですね。人間性を立て直そうという「努力」はしているのでしょうが、「英語」の成績は上がらないので、次のテストも悪い点になり、落ち込むことになるのです。
それで、「さぼっている」とか「素直じゃないね」とか言われますます落ち込むのです。)
いいですか。「悩む」ことと「考える」ことを分ける、というのは、次、よい結果を生むための合理的な=生産的な、努力をするということです。
英語悪いなら、英語やりましょう。数学悪いなら、数学やりましょう。そうしたら上がるに決まっています!
まかり間違って、5教科の点数を上げようとして、「道徳」の勉強をしないでくださいね。
「コミュ障」(定義が曖昧ですがそれはおいておいて)なら、コミュニケーションの本を読んだり、得意な人に聞く。これが正しい努力です。「長続きしない」なら、悩む前に得意な友達や先輩に訊くのです。
これが「悩む」ことと「考える」ことを分けるということです。「悩む」と、結果につながらない上に、開き直ってYouTubeとか見ている開放感すら得られないから、これは非常に問題です。
心理学者のアドラーは「過去と他人は存在しない」と言いました。過去を振り返っても仕方ないのです。
今できる、未来に向けたスタートを切りましょう。最初は=実績が出るまでは つらいかもしれませんが、後から数字(でわかる客観的)成果はついてきます。
悩むより「考える」。未来に向けて、打算的に計画を立てましょう。
気づいた時からがスタート。ご都合主義でいきましょう。