ブログ | 東進ハイスクール 三鷹校 大学受験の予備校・塾|東京都 - Part 2

ブログ 2018年12月の記事一覧

2018年 12月 25日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第8話

遂にこの物語も8話。佳境ですね。

そんなこんなで10月模試がやってきました。

東進に入ってからの成果を見せる!そう思って受験しましたが、思うような結果はでず、偏差値は40代。

同時期に第一志望でA判定をとってるやつもいる。そんな奴らにここからどうやって追いつけばいいんだろう、と少し不安になりました。そんな時、担任助手の先生との面談で、今でも忘れられない言葉をかけてもらいました。

「あなやま、すぐに東大A判定のやつなんかには追いつけないよ。」

「けどさ、勉強量なら明日からでも東大A判定のやつに勝てる。」

「それにさ、東大A判定の奴より勉強しなかったら、一生東大A判定のやつには追いつけない。だから、今日から東大A判定のやつにも、勉強量で負けんな。」

その時、僕はとても大切なことを知りました。僕の人生の軸と言ってもいいかもしれません。

「追いつきたい奴がいるなら、量だけは追いつきたい奴に勝つ。」

たしかに、効率は悪いかもしれないです、質も低いかもしれない。けど、だからって量だけは負ける訳にはいかなかったんです。なぜなら、そこで負けちゃったら、もう二度と追いつけなくなる。僕のような弱っちいヤツが、強者に必死に食らいついていくために必要なのは、がむしゃらにやることでした。

さらにこの頃、友人も勉強に本腰を入れ始めました。それまで僕の独壇場だったグループ内向上得点ランキングで、抜かれはじめたのです。

この時期くらいから、心の中で彼をライバルとしても認識するようになりました。

僕は勉強の量を、さらに増やしました。受講期限が迫っていないのに、1週間に12コマ受講したこともありました。学校や週3の部活をやりながらです。

めちゃくちゃ勉強しました。この頃から受験生が帰った後も、閉館ギリギリまで勉強するようになりました。下手な受験生よりよっぽど勉強していました。平日4〜5時間は当たり前。土日は幸運にも部活がなかったので、10時間は最低でも勉強していました。

そんなこんなで12月模試が来ました。以前よりも少しずつ点数が上がってきているのがわかりました。夏には90点程度だった英語は130点代を取れるようになりました。この頃から、少しずつ文系科目で偏差値57前後を取れるようになり始めました。

東進では冬合宿にも参加しました。猛烈に勉強をしたのですが、ここで僕は、質を高めることに勉強のステージを進めました。勉強量だけでは、勝てないということを身をもって体感したからです。 

冬合宿では毎授業後にテストがあります。クラス内でいくつかの班にわかれて、その確認テストの班内平均点で競い合うのですが、これがみんな満点を取ってくるんです。

量やる時間があるなら僕も満点をとれたでしょうが、なにぶんテスト対策に充てられる時間には制限があります。効率を度外視しすぎた僕のやり方では限界があり、一度も満点をとれず、完全に班のお荷物になりました。

悔しかったです。そこでどう質を高めるかにフォーカスしていくわけです。

「この勉強は、なぜやるのか、どう効果的なのか。」

そういったことを、考えるようになりました。

 

つづく

2018年 12月 24日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第7話

東進に入ってすぐに、夏に受けた模試の結果が帰ってきました。

帳票を見て僕は愕然としました。あんなに頑張ったにもかかわらず、偏差値が38だったからです。

以前の僕なら、「どうせ」と諦めていたかもしれません。しかし、成長した僕は違いました。

「でも」そう言って僕はここからどうやって成蹊での誓いを果たすかを考えました。

この時、僕は面談時にとんでもないことを言いました。

「先生、僕、東大を目指します。」

信じられますか?偏差値38の高校2年生が東大を目指すと豪語したんです。しかし担任は目指せと言ってくださりました。

それから僕は、週6コマくらいのペースで毎日東進に通いました。

東進では、高速基礎マスターや受講に関してランキングを張り出してました。多くやったらランキングに載るのですが、ぼくはそこに載るようになりました。

担任助手の方はそんな僕を褒めてくださりました。嬉しさよりも驚きの方が多かったです。今まで努力できることは当然で、努力できない僕はダメなんだと思い続けてきた僕にとって、努力が褒められるという経験が新鮮でとても嬉しかったのを覚えています。

嬉しくて、どんどん受講しました。ランキングを見るのが当時の僕の楽しみでした。

この頃、グループミーティングで友人ができました。

彼は僕よりも早く入っていましたが、勉強量は僕の方が多かったです。なのでこの時は、彼は単に友人でした。

 

つづく

2018年 12月 22日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第6話

高校2年生

特進クラスに進んで、初めての中間テスト、正直油断していました。いつも通りに勉強した結果、なんとクラス20位を取ってしまったのです。「クラス20位なら普通なんじゃないの?」と思う方もいるでしょう。しかし忘れないでください。僕は杉並学院に通っているのです。模試を受けた時の全国偏差値40代がマジョリティーの高校で、クラス内20位です。これはマズイと思ったのですが、どうにも軌道修正できず、期末テストも似たような結果でした。

何かを変えなくてはいけない。真っ先に思いついたのは予備校でした。しかし、皆さん思い出してください。僕には、S台で金をドブに捨てた前科があります。親も簡単にはお金を出してくれないだろうと最初は行くのを渋りました。とはいえ、このまま何もしなければ状況はどんどん悪くなっていく一方なのも確かです。

悩みに悩んだ結果、東進の夏期特別招待講習に行くことにしました。理由は無料だから。料金が発生しなければ、親も許してくれるだろうと考えました。そして親にある約束をしました。

「この夏期講習で誰よりも勉強します。もし、それができたら、もう一度、僕を予備校に通わせてください。」

高校2年の夏、1日5時間勉強しました。1日2時間が限界の僕がです。とにかく、必死でした。「ここでもし頑張れなかったら、僕はもう二度と這い上がれない。」そんな気がしていました。

親もそんな僕をある程度は認めてくたのでしょう。僕は、もう一度予備校に通わせてももらえることになりました。

 

つづく

2018年 12月 21日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第5話

2013年4月、杉並学院に入学しました。僕は文理と特進のうちの文理クラス。語弊を恐れずに言えば、入試のテストの点が悪い方です。

入学式で、僕はこんなこと言った覚えはないのですが、母に「ここにいる奴らのほとんどが、俺みたいに落ちたんだな…」と言ったらしいです。

今思えば、何とも恥ずかしい台詞を吐いたもんだと顔が赤くなりますが、でも当時は本当にそう思っていたのだと思います。

自分の中に、「ここから抜け出さなきゃ腐る。」という焦燥感がありましたし、「ここで周りに流されるような人間じゃ、ぼくが理想としているような人間にはなれないし、見返すこともできない。」と思っていました。

高校に入ってからは毎日、2時間は勉強しました。まぁ中学の時の僕みたいなのが集まっているということもあって、周りは全く勉強しません。毎日2時間勉強するだけで勝手にクラス内順位は上がっていき、なんと、初めての定期試験でクラス5位を取ったのです。

もしかして、僕、やればできるんじゃないか?もちろん、できるようになどなっておらず、相対的に順位が上がっただけで、これは大いなる勘違いなのですが、勉強の順位で上から数えた方が早いなんて経験が初めてのあなやま君。嬉しくて舞い上がってしまい、正常な判断ができなくなっていました。

かくして、勘違いをしつつも、少しだけ勉強が楽しくなった僕は毎日2時間勉強することを続けられました。

気づけば、文理8クラスのなかでもトップ層。校内順位も特進に入れるレベルになっていました。

順風満帆に見えた高校1年生。しかし、勉強ができるようになったと勘違いしていたことが、高校2年生になり、大きく響いてきます。

つづく

2018年 12月 20日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第4話

そうです。見事勉強しなかったんですね。そんなこんなで、志望校決定の三者面談が学校で組まれました。

僕は勉強しないくせに、親族が皆優秀な学校に行っているという理由から、変なプライドが顔をのぞかせて、「成蹊高校と豊多摩高校を最後まで目指す!」なんてぬかしました。痛々しいこと、山の如し。

とはいえ、抑えの高校を考えないわけにはいきません。そこで先生から提案されたのが、杉並学院高等学校でした。理由は簡単で、僕の内申点でも、併願優遇制度を利用して受験でき、しかも、併願優遇制度を利用した際の合格率が100%だからでした。併願優遇制度なら、名前と受験番号を間違えなければ受かると言われていました。

結局は僕の母校になるわけですが、その当時の僕はちょっと嫌がりました。

模試を一度受けに行ったときにフォークソング部がうるさかったからという理由でした。勉強もしてないくせに、よくもまぁそんな贅沢を言えたものです。当然、背に腹は変えられず、受けることになりました。

何もせず、成蹊の受験日がやってきました。そして翌日は杉並学院の受験日と成蹊の発表日でした。

杉並学院の試験中は成蹊の結果が気になってずっとソワソワしてました。結果はもちろん落ちていました。

悔しいという気持ちすら湧かなかったです。まぁそうだろうなとしか思いませんでした。そんな僕の隣で合格した子が、親と喜んでいました。彼は嬉しさのあまりに泣いていました。隣でお母さんらしき方が「頑張ったもんねぇ…」と言い、涙ぐんでました。

それを見た僕は、正直情けなくて情けなくて仕方がなかったです。こいつが必死で勉強していたとき僕は寝ていた、ゲームをしていた、銀魂を見ていた、答えを写して、親に怒られないように必死に嘘をついていた。そんな自分が情けなくて、恥ずかしくて、初めて涙が出ました。

「二度とこんな情けない思いはするもんか。絶対に、今ここにいる全員より頭良くなって、いい大学入って、立派な大人になって、見返してやる。」この成蹊での決意が、僕が大学受験の際、死にものぐるいで勉強した最大の理由です。

正直な話、受験に落ちるまで、僕はどこかで「この人生という映画の主人公は僕なんだから、まぁどこかで主人公補正がかかって上手くいくんだろう。」くらいに思っていました。

けれど、落ちた時、それは間違いだと気付きました。「僕は確かに、この人生という映画の主人公かもしれない。けどハッピーエンドな映画ばかりじゃない。頑張らない奴には、ハッピーエンドなんて待っていない。そのまま腐っていくシナリオだってあるんだ。」と気づいたんです。

腐っていく主人公にならないためにも、そして、このままだと確実に自分は腐り、なりたくなかった人間になってしまうという一種の恐怖感から、僕は少しずつ勉強をするようになりました。

 

つづく