ブログ | 東進ハイスクール三鷹校|東京都

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2018年 12月 22日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第6話

高校2年生

特進クラスに進んで、初めての中間テスト、正直油断していました。いつも通りに勉強した結果、なんとクラス20位を取ってしまったのです。「クラス20位なら普通なんじゃないの?」と思う方もいるでしょう。しかし忘れないでください。僕は杉並学院に通っているのです。模試を受けた時の全国偏差値40代がマジョリティーの高校で、クラス内20位です。これはマズイと思ったのですが、どうにも軌道修正できず、期末テストも似たような結果でした。

何かを変えなくてはいけない。真っ先に思いついたのは予備校でした。しかし、皆さん思い出してください。僕には、S台で金をドブに捨てた前科があります。親も簡単にはお金を出してくれないだろうと最初は行くのを渋りました。とはいえ、このまま何もしなければ状況はどんどん悪くなっていく一方なのも確かです。

悩みに悩んだ結果、東進の夏期特別招待講習に行くことにしました。理由は無料だから。料金が発生しなければ、親も許してくれるだろうと考えました。そして親にある約束をしました。

「この夏期講習で誰よりも勉強します。もし、それができたら、もう一度、僕を予備校に通わせてください。」

高校2年の夏、1日5時間勉強しました。1日2時間が限界の僕がです。とにかく、必死でした。「ここでもし頑張れなかったら、僕はもう二度と這い上がれない。」そんな気がしていました。

親もそんな僕をある程度は認めてくたのでしょう。僕は、もう一度予備校に通わせてももらえることになりました。

 

つづく

2018年 12月 21日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第5話

2013年4月、杉並学院に入学しました。僕は文理と特進のうちの文理クラス。語弊を恐れずに言えば、入試のテストの点が悪い方です。

入学式で、僕はこんなこと言った覚えはないのですが、母に「ここにいる奴らのほとんどが、俺みたいに落ちたんだな…」と言ったらしいです。

今思えば、何とも恥ずかしい台詞を吐いたもんだと顔が赤くなりますが、でも当時は本当にそう思っていたのだと思います。

自分の中に、「ここから抜け出さなきゃ腐る。」という焦燥感がありましたし、「ここで周りに流されるような人間じゃ、ぼくが理想としているような人間にはなれないし、見返すこともできない。」と思っていました。

高校に入ってからは毎日、2時間は勉強しました。まぁ中学の時の僕みたいなのが集まっているということもあって、周りは全く勉強しません。毎日2時間勉強するだけで勝手にクラス内順位は上がっていき、なんと、初めての定期試験でクラス5位を取ったのです。

もしかして、僕、やればできるんじゃないか?もちろん、できるようになどなっておらず、相対的に順位が上がっただけで、これは大いなる勘違いなのですが、勉強の順位で上から数えた方が早いなんて経験が初めてのあなやま君。嬉しくて舞い上がってしまい、正常な判断ができなくなっていました。

かくして、勘違いをしつつも、少しだけ勉強が楽しくなった僕は毎日2時間勉強することを続けられました。

気づけば、文理8クラスのなかでもトップ層。校内順位も特進に入れるレベルになっていました。

順風満帆に見えた高校1年生。しかし、勉強ができるようになったと勘違いしていたことが、高校2年生になり、大きく響いてきます。

つづく

2018年 12月 20日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第4話

そうです。見事勉強しなかったんですね。そんなこんなで、志望校決定の三者面談が学校で組まれました。

僕は勉強しないくせに、親族が皆優秀な学校に行っているという理由から、変なプライドが顔をのぞかせて、「成蹊高校と豊多摩高校を最後まで目指す!」なんてぬかしました。痛々しいこと、山の如し。

とはいえ、抑えの高校を考えないわけにはいきません。そこで先生から提案されたのが、杉並学院高等学校でした。理由は簡単で、僕の内申点でも、併願優遇制度を利用して受験でき、しかも、併願優遇制度を利用した際の合格率が100%だからでした。併願優遇制度なら、名前と受験番号を間違えなければ受かると言われていました。

結局は僕の母校になるわけですが、その当時の僕はちょっと嫌がりました。

模試を一度受けに行ったときにフォークソング部がうるさかったからという理由でした。勉強もしてないくせに、よくもまぁそんな贅沢を言えたものです。当然、背に腹は変えられず、受けることになりました。

何もせず、成蹊の受験日がやってきました。そして翌日は杉並学院の受験日と成蹊の発表日でした。

杉並学院の試験中は成蹊の結果が気になってずっとソワソワしてました。結果はもちろん落ちていました。

悔しいという気持ちすら湧かなかったです。まぁそうだろうなとしか思いませんでした。そんな僕の隣で合格した子が、親と喜んでいました。彼は嬉しさのあまりに泣いていました。隣でお母さんらしき方が「頑張ったもんねぇ…」と言い、涙ぐんでました。

それを見た僕は、正直情けなくて情けなくて仕方がなかったです。こいつが必死で勉強していたとき僕は寝ていた、ゲームをしていた、銀魂を見ていた、答えを写して、親に怒られないように必死に嘘をついていた。そんな自分が情けなくて、恥ずかしくて、初めて涙が出ました。

「二度とこんな情けない思いはするもんか。絶対に、今ここにいる全員より頭良くなって、いい大学入って、立派な大人になって、見返してやる。」この成蹊での決意が、僕が大学受験の際、死にものぐるいで勉強した最大の理由です。

正直な話、受験に落ちるまで、僕はどこかで「この人生という映画の主人公は僕なんだから、まぁどこかで主人公補正がかかって上手くいくんだろう。」くらいに思っていました。

けれど、落ちた時、それは間違いだと気付きました。「僕は確かに、この人生という映画の主人公かもしれない。けどハッピーエンドな映画ばかりじゃない。頑張らない奴には、ハッピーエンドなんて待っていない。そのまま腐っていくシナリオだってあるんだ。」と気づいたんです。

腐っていく主人公にならないためにも、そして、このままだと確実に自分は腐り、なりたくなかった人間になってしまうという一種の恐怖感から、僕は少しずつ勉強をするようになりました。

 

つづく

2018年 12月 19日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第3話

中学三年生

予備校をやめさせられた僕は、自力で高校受験に挑むことになりました。

最初は、予備校をやめさられたショックから頑張りました。とはいえ頑張れたのも3日程度、すぐにサボるようになりました。

父が毎日、その日やるべき勉強をできたか確認することになっていたのですが、やったように見せるために、そして、こんなのを間違えるのか、と叱られるのを恐れて、答えを写していました。改めて自分で振り返っても、なんとも救いようのないやつです。まぁこの頃の救いようのない僕がいるからこそ、それを乗り越えた今の僕がいるのですが…

いずれにしろ、自己嫌悪はさらに分厚くなっていきました。この頃から、自分はどうしようもない負け組なんだと思うようになっていました。

恐らく父は、僕がサボっていたことに気づいていたでしょう。それもそのはずです。僕の学力じゃ手に負えないはずのワークで満点取っているにもかかわらず、テストの点数は悪いのですから。

そんなこんなで殆ど勉強しないまま、夏休みがやってきてしまいました。

当時、僕は都立豊多摩高校と私立成蹊高校を志望していました。夏から頑張れば合格できなくはありません。親や先生からもそのように言われてました。しかし、ここまで一切勉強できなかったポンコツな僕です。夏休み、親が毎日のように外出しているのをいいことに、アニメ銀魂を全話見返すという暴挙に出ました。ここまでくると、もう救いようがないなんてレベルじゃありません。全受験生に土下座させたいですね。かくして夏休みは去り、僕の頭の中には銀さんと、新八のツッコミしか残りませんでした。

さて皆さん。ここまでくれば、秋になって僕がどんな行動をとるのか、もうわかりますね?笑

答え合わせは、明日ブログで!!

 

…つづく

2018年 12月 18日 【連載企画!!】早稲田大学物語 第2話

中1~2

当時、僕はS台フロンティアjrという予備校に通っていました。年間50万近い授業料を払ってもらっているにもかかわらず、僕はこれっぽちも勉強しませんでした。授業もグーグー寝ていました。中学で、サッカー部に入っていた僕は、サッカーするか、寝るかというニート同然の人生を送っていたわけです。当然、親は勉強しろと怒ります。50万の授業料を無駄にされればなおさらです。毎日ように「お前なんかのために大切なお金を使うんじゃなかった。」と言われました。

そのたびに、親への申し訳なさと、自分が無価値と言われたかのような思いで、胸が締め付けられましたが、ダメな人間は、とことんダメななもので、僕が勉強をすることはありませんでした。どうしても目の前にゲームがあればやってしまい、ベッドがあれば寝てしまいました。

ゲームをしたり、ベッドで横になっているとき、心はずっと曇っていました。ダメだダメだとは思っているからです。でもやめられない。自己嫌悪が日を追うごとに地層のように分厚くなっていきました。

勉強をしないので、成績は公立中学校でしたが、下から数えた方が早かったです。というか人生で勉強に関して、上から数えた方が早いことなど、その時は、ほとんどありませんでした。期末テストで13点を取ったこともありました。普通なら絶望するでしょうが、なにぶんサッカーか、寝るか、ゲームで脳細胞がほとんど死滅している状態です。自分より点数が低いやつがいると聞き、安心してしまうというアホさでした。

中学三年生の春。とうとう僕は予備校をやめさせられました。

 

…つづく